今日は父の日ですが私が幼い頃は取り立てて「父の日」だからと言って
何かお祝い事をするようなことはなかったような気がいたします。
子煩悩な反面とても厳しい父でした。
食事中に姉妹でおしゃべりをしてると「食事中におしゃべりをするな!」
と言われますし
昔はちゃぶ台を囲んで食事をしていましたが
食事中に手を乗せたり肘をついたりするとものすごい勢いで叱られます。
小樽の郊外に住んでいたので
父が勤務先からJRで帰宅する時間になると
姉と二人で駅まで迎え行ったり
雨の日は傘を持って行ったりした記憶があります。
その頃は当然SLだったので煙を出しながら走る姿は
子供心にもすごい迫力でした。
でも先日のニュースでJR北海道は
函館ー小樽間の(山線)廃止を発表し「姉と寂しいね」と話していました。
小学校の頃は室蘭在住で円形の学校で有名な小学校に通学しており
父母会(昔は父兄会)に両親揃って来てくれたり
出張から帰ってくるときは必ずお土産を買って来てくれ
何よりもそのお土産がとても楽しみでした。(笑)
クリスマスや七夕などは今のようにオーナメントなどは
お店で売ってなかったので父がとても手の込んだものを
作ってくれた記憶があります。
色々と記憶に残ってる事があるのですが(よい事も悪い事もね)
少し大きくなったころ(中学生くらい)
父が飲み会があった時など一人が二個づつ食べれるようにと
ケーキを買って帰宅するのですが
食いしん坊な私は一個は食べて残りのもう一個は
明日の楽しみに取って置くのですが
父はどうもそれが気に入らないようで
「せっかく買って来たものをどうして美味しいうちに食べないんだ!」
と叱られます。
妹や姉はもう寝ており私がバカを見てしまいます。
私が高校生になる頃(この頃は釧路に住んでいました)は
もうそんな厳しさも無くなり定期テストが終わった後、
友人たちと北大通りを歩いていたらちょうどランチタイムの
父と鉢合わせになり「何してるんだ!」と言われ
「テストが終わったので・・・・お茶して帰る!」と話したら
「じゃあ、これで皆とコーヒでも」と言って
お小遣いをくれたりしましたが
裏の顔を知らない友人たちからは〇○のお父さんやさしいね
などと言われた事も有りました。
長じて結婚した後も
お正月にはささやかですがずっとお年玉を頂いていました。(笑)
これは貯金したり生活費に入れたりするのではなく
何か形の残るものを買って後日親の所にお礼かたがた見せに行きます。
何とも面倒ですね。
ちょっと長くなってしまいましたが
ちょっと厳しくちょっとやさしい父の思い出です。